[鋼の錬金術師]



[写真]

「あれ?それ写真?」
「ああ・・・」
「持ってたんだ?」
「一枚っきりな」
「知らなかった」
「ずっと仕舞ってたから」
「へぇ・・・」
「見るか?」
「え、いいの?」
「(コックリ)」
「写真見るの・・・ツラかったの?」
「?」
「だって僕、兄さんが今まで写真見てるとこ見たことなかったから」
「ツライから見なかった訳じゃない」
「じゃ、何で?」
「・・・色が」
「え?色??」
「色、褪せっちまうから・・・」
本の間に大切に挟み込まれた写真。
手渡された其処に鮮やかな群青。
変わらず微笑む貴方が居た


[無題1]

真新しい執務室。
「それでは、執務机の整理だけはお任せしても構いませんね」
軍部創設以来の若き将軍の誕生。
その忠実なる部下である彼女がそう言い残して部屋を後にしたのは、
確かに2時間前の事になる。
休憩のお茶の載ったトレーを手に、執務室のドアを開けた彼女の目には
どうしても、何度瞬きを繰り返しても、2時間前の机上の惨状が
多少なりとも収束に向かっているようには映らない。
新将軍同様、部下達も其々にに割り当てられた部屋の片付けや雑務に
寝る間も無い程、何日も追われ続けていた。
だからこそ、上司を信じて任せたというのに。
なのに上司ときたら、階級の上がる速度が早まる程に
この悪癖も性質の悪さが増してきた。
予想のできた事ではあったが、それでもと・・・・・。
心持ち、目が据わって見えるのは気のせいではなく、
実際に彼女は静かに腹を立てていた。
上司にも、己にも。
「何をなさっているんです」
声にも彼女の心情が表れて、何処か薄ら寒いものを感じる声音だ。
けれども彼女の上官も只者ではなかった。
内心はどうだか?けれども表面上は何の変化も感じられない。
いや・・・2時間前の上司のそれとは、何か違う。
今し方自分が入室してからの変化ではない。
もっとそれ以前の変化。
手にしていたトレーをそのまま持っているわけにもいかない。
折角飲み頃を考えて運んできたお茶が冷めてしまう。
そう考えた部下は上官の執務机へ近付き、慣れた仕草で回り込み、
机の脇に設えられているサイドテーブルへとトレーの茶器をセットした。
次に無駄の無い動きでトレーに残るティーポッとを持ち上げ、
カップへ絶妙の飲み頃のお茶を注ぐ。
「シュガーは?」
「いらない」
「ミルクは?」
「いらない」
「レモンは?」
「いらない」
「何か?」
「・・・・・」
流石と心の中で苦笑う。
リズムの有る遣り取りだったので、乗ってくるかと思っていたが
上司はピタリと口を閉ざし言葉は返って来なかった。
手にしていたポットには、もう少しお茶が残ってはいたが、
2杯目を飲む頃には濃くなり過ぎて飲める代物ではなくなっているだろう。
このまま退室時に持って出ようと、ポットは机上に残さずトレーへと戻す。
それを待っていたかの様に、上司が部下の眼の前に或る物を差し出す。
トレーを机上の片隅に置いて、茶器を取って上司へと差し出し、
部下は注意深く目の前に差し出された物を受け取った。
「報告書・・・ですか?」
上司は応えず、受け取った茶器を手にクルリと椅子を廻し、
黙って執務机の背後一面を占める大窓から見える鈍(にび)色の空へと視線を泳がせた。



カチャと上司が茶器を触れ合わせ、持ち上げたそれを口元に運ぶ仕草と、
受け取った自分の手に有る報告書を見比べるとも無く見てしまう。
「拝見しても?」
「ん?んん・・・」
今まさに茶器に口を付け、中の美しく香ばしいお茶を含もうとしていた上司は、
縁に唇を寄せたまま返事を寄越してきた。
見下ろす手には、年数を重ねたせいで生じたのであろう黄ばみが、
全体を薄っすらと包み、所々に透明な油染みも浮かんだ代物で、
パラパラと中を捲れば、極め付けに大きなバッテンが無数に散らばっていた。
赤いペンで書き直しと添えられた文字は、よく知る上司の其れで、
報告書の主の字は、普段の言動からは想像出来ない程意外な筆跡。
眼の前の稀有な頭脳を持つ上司と対等に渡り合える論客はそうは居ない。
その数少ない論客の一人は、外見は驚くほど小柄な人物で、
実際、年齢も[子供]と呼ばれる域を出てはいなかった。
同年代の子供に比べ、遙かに達者な読み書き。
けれど筆跡だけは何故か、幼さの残る筆跡で。
何年も前に書かれたであろう報告書に添えられた名前。
上司がポツリとその名を呼んだ。
懐かしさと愛しさに耐え切れず、呼んでみたよという程の小さな声で。
そうして彼は密かに耳を澄ます。
何処からか声が聞こえてきやしないかと。
自分も知らず、耳を澄ます。
聞き慣れた声で応えが返ってきやしないかと。
今はいない、愛しいあの子の面影を思い浮べながら。


[ロイ・マスタング氏の回想]

あの時、君の欲しかったものはなんだろう?
今でも、繰り返し、繰り返し思うよ。
あの時、君の本当に欲しかったものは何だったのだろうかとね?
たとえば、そう。
誰も同じだと思う。
子犬や子猫をいとおしむのに、言葉など要らない。
そっと手を伸ばし、抱き寄せるだけでいい。
少なくとも、私はそう思っていた。
自分が子犬や子猫並に扱われていたのかと、
知った君が恐ろしく腹を立てて噛み付いてくるであろう様が、
今でも容易に想像できるよ。
あれは何時だったろうね?
酷く沈んだ君の事が気になって、柄にもなくその姿を探した夜。
頃は花の季節。
存在を誇示する如くに咲き競う花々が、
高い梢の先の月さえも埋もれさせて、
その光だけが皓々と地上に降り注いでいたっけね。
取り分け見事な大樹の花陰で、
君は折角の花も見ずに俯いて立ち尽くしていた。
泣いているのかと、一瞬疑ってみたけれど、
私は小さく首を振って否定する。
有り得ない。
君が泣くなんて。
知っているよ、君の事。
泣かない君。
泣けない君。
だから、子犬や子猫をいとおしむ仕草で後ろから抱き寄せた。
そっとね。
振り向いた君の瞳は、やはり潤んでさえいなかった。
それでも瞳の底の哀しみは底知れぬほど深いのだと見て取れて、
口を開きかけた君の唇に、人差し指を押し当てた。
しぃっ・・・・・・
私は声を出さずに唇の動きだけで伝えた。
漸く、君の唇から指を離しても、
君は黙って私を見上げてくるばかり。
物言えぬ子犬や子猫が無心に見上げてくるみたいに。
私はもう一度、彼を懐に抱え直す。
せめて君の哀しみが少しでも癒えやしないかと、
子犬や子猫をいとおしむように。
言葉など要らない。
私はそう思っていた。
あの時、君の欲しかったものはなんだろう?
今でも、繰り返し、繰り返し思うよ。
あの時、君の本当に欲しかったものは何だったのだろうかとね?


[影]

「ふふふ♪」
鎧の弟が、空洞を震わすみたいにして楽しそうに笑う。
鋼の兄は同道の焔の大人と一緒に振り返って、直ぐ後ろを歩く弟を見た。
そんな兄に小首を傾げて見返してくる弟は、
声音以上に上機嫌そうな様子に感じられる。
けれどあまりに唐突過ぎて、兄にはさっぱり訳が解からない。
それは隣に居る大人も同じなようで、2人して互いに顔を見合わせ、
其々の表情の中に、盛大な[?]を見付けた。
「何が可笑しいんだよ、アル?」
「何が可笑しいんだね、アルフォンス?」
2人して、同時に、同じ口調で、同じ疑問を口にすれば、
アル、アルフォンスと呼ばれた鎧の弟は再び繰り返した。
「可笑しい♪」
「だから、何が?!」
至極簡単に[忍耐]という言葉を打っ棄って、兄である鋼が再び問う。
少々イラついた声で。
兄の様子に、聡い弟は直ぐに潮時と気付いた様で、
「あ、ゴメン」と、まずは素直に謝った。
それから続けて話す。
「でもね、悪い意味での[可笑しい]じゃないんだよ」
「?」
兄も、それから大人も、益々訳が解からなくて、眉間に大きな皺を作った。
「こんなに明るい月の夜も、眩しい太陽に照らされた昼日中でも、
2人の影がね・・・・・例えば兄さんの影が、僕には紅く見えるんだ。
それから大佐の影は蒼く見えるんだよ。
ね?不思議でしょ?」
「俺の影が・・・紅い?」
「私の影が・・・蒼い?」
2人は、足元から伸びる互いの影を振り見た。
少なくとも、鋼には自分の影は真っ黒にしか見えなくて、
チラリと様子を伺うように見上げた隣の焔の横顔も、
自分と同じ反応を示している様にしか見えなかった。
それから2人で歩く機会がある度に、鋼と焔は互いの影を振り見たけれど、
決してそれは紅くも蒼くも見える事は無く、いつも黒や暗い灰の色のまま、
鎧のようには見えぬまま。
鋼の兄が、別れの言葉も言わせてくれぬ内に消えてしまった今も、
蒼い大人は自分にも鎧の弟の様に見えはしないかと、
紅い影を探して振り返り、振り返り・・・・・


[ロイ・マスタング氏の回想2]

「ごめん・・・・・」
時に、その可愛らしいとさえ云える容姿に似合わぬ暴言を吐き出す唇から、
思い掛けない言葉が零れ、私の耳に届いた。
とは言っても、その時々に相応しく、何よりその場に必要な言葉を、
きちんと口にする事の出来る子供だから、思い掛けないという言葉は
実際には当てはまらないと言えるだろう。
「重てぇだろう?」
歳に合わぬ小柄な身体から続いて零れた言葉も、普段のからからは想像も出来ぬ程の、
囁く程度の声で、訝しさが募る。

ふと気付けば、鋼の兄の傍らには、常に行動を供にしている筈の鎧の弟の姿は無く、
焔の大佐である自分の傍近くにも、鉄の結束を誇る部下達の
群青の軍服姿の一つも見当たらなかった。

戦いの果て、どうにか作戦の終了を迎えたものの、私達二人はボロボロで、
大人として、彼より、僅かなりとも体力の残っている私が、
今は彼を背負って、トボトボと本隊と合流すべく歩いている所なのだ。
見てくれより幾分か重い彼の体重を背に感じながら、私は物思いに耽る。



いつか彼は、その願いを叶え、空へと飛び立つだろう。
そんな彼に、私が抱く想いは、その前途を妨げないとも限らない。
それでも考えずにはいられないのだ。
いつか私の目の前から飛び去ってしまうであろう君の背を、
見送る位なら、いっそこのまま君の手足が戻らぬまま、
君の手足が重い鋼のままなら、飛び立つ事も出来ずに、
私の手の届く場所に居てくれるのではないかと思うのだ。



「ほんと、ゴメン・・・・
 大佐だって草臥れ果ててるだろうに、俺、重くって・・・・・」
「いいや、構わないよ。
 君程度の重さ、どうって事はないから」



この重さが有る間は、君が居なくなる事は無いないという事。
君が己の罪という重さは、私にとっては君に寄越してはいけない想いの重さ。

[ロイ・マスタング氏の回想3]

[多忙な日々]。
それはなくした物の大切さに、遅ればせながら気付いた当時の私にとって、
誰よりも必要で、何よりも有難いものだった。


それから数年が過ぎた今、ここ最近の私はというと、
世間に言わせれば、異例の速さで上がってゆく地位に比例する様に、
部下達の居る大部屋へと顔を出す機会は減っていたが、
先程、久々に寄らせてもらった大部屋の雰囲気は懐かしくも身に馴染んでいて、
そう遠くはない[記憶]を蘇らせた。
そして今はたった一人、[記憶]を引き摺ったまま、
大層な執務室で在りし日に思いを馳せている。


普段はそう・・・あの頃の事など忘れてしまったのだと、きっと皆は思っている。
実際、現在の私の心や身体の何処を探しても、
君への想いは一欠けらだって存在してはいない。
君以外を思う、優先事項は小山の如く目の前に控えているし、
この先、その嵩は益々増えてゆくであろう。
確信と諦念までもがその上に重なって、
やがて私は君を忘れ去った。
誉めてくれないか?
綺麗さっぱり、私は君の事を忘れてみせたのだから。


・・・・・等と言ってはみても、他愛もない。
何の事はない弾みで欠片程も残ってはいない筈の記憶は、
何処からか容易く蘇り、瞬く間に体中が君への想いで溢れかえる。


例えばこの間、車寄せで部下が車を廻してくるのを待つ僅かの間の事だった。
正面階段の石と石の間の僅かの隙間。
在りえない物を見つけた私は瞠目した。
キッチリと合わさっている筈の階段の隙間に、それはそれは小さな花が一輪。
健気だが真っ直ぐに、空に向かって太陽の色をした面を上げて咲いていた。
途端に、何処からともなく湧き上がってきた君への想いに全身が、
爪先から、髪の一筋一筋の先端まで侵食されて、
今度は君以外の全てを忘れ去って、私はその花を見詰め続けた。


その小さな太陽の色をした花は、唐突に摘み取られた。
根ごと引き抜かれてしまったそれは、雑役の者の手に握られ、
次の瞬間には麻布で出来た塵用の布袋に無造作に投げ込まれ、
私の目の前から消えてしまった。
後には、土の欠片の一つさえ残ってはいない。
花の咲いていた痕跡さえ、跡形もない。


今更、君が居なかった事には出来ない。
今更、君を知らなかった日々には戻れない。


誰にも気付かれない。
途切れては繋がり、途切れては繋がる、私の君を想う心を、
私自身でさえ気付く事の出来ないような何処かで、
ひっそりと持ち続けてゆくから。
だから君も何処かで・・・・・
そんな風に、私の事を想っていてはくれないか。


お帰りはブラウザで